昔、人間は世界をはるかに濃密で豊かに感じていたのかもしれない

人類は進化したなどというが、長い歴史の中で少しずつ失ってきた能力があるんじゃないだろうか。

文字では表現できないものや、可視光線で照らすことができないもの、計算や論理で説明できないもの、そういったものを感じ取る力を、少しずつ失ってきたのかもしれない。

昔の人たちは、今の僕らのように、たくさんの情報をインターネットから得ることはできなかった。けれど、もしかしたら、今の僕らでは感じ取ることができない多くの何かを、世界から感じ取れていたのかもしれない。

少しずつ変わってゆく動画は、じっと見ていてもどこが変わっているか気づくことが難しい。それと同じように、人類もまた、ゆっくりと失っていった能力に気づくことは難しかったのかもしれない。

そう考えていると、昔の人たちはひょっとすると今の僕らとは比べ物にならないほど濃密で豊かな世界に生きていたのかもしれないと思った。


コメント

“昔、人間は世界をはるかに濃密で豊かに感じていたのかもしれない” への2件のフィードバック

  1. 内山正敏のアバター
    内山正敏

    物理的な情報伝達手段の進化をもって、その空間を豊かと感じるのだと思います。情報そのものはどうでしょう。それを発したり受けたりする人間はどうでしょう。それらの本質はさほど変わっていないのに、醸成された仮想空間を人間が豊かと錯覚するようです。
    私の生きてきた時代で、その手段を進化させたと感じるのは、テレビ、半導体、パソコン、インターネットです。テレビは今どうでしょう。せっかくのメディアも発信される情報次第です。
    誰もが発信できてしまうSNSでは、情報の質が求められるものの、構造上成熟しえないメディアだと感じます。またAIにより、情報発信者の特定が危うくなり、底上げ効果はあるものの、なりすましや受け売りが横行するでしょう。
    確かに進化と言えば聞こえはいいですが、メディアの発達で情報が多くなったお陰で、逆に情報を豊かにさせないパラドックスがあるように思います。失ったものがあるのは間違いなさそうです。

    1. コメントありがとうございます。
      例えば、車は確かに行動範囲を広げるすばらしいものですが、それに頼り切ってしまうと足腰が弱ってしまいます。それではドライブもあまり楽しめなくなってしまいます。
      ここで私たちが書いた事柄も、これに似たジレンマかもしれないと思いました。
      せっかくのすばらしいIT技術がたくさん生まれたのですから、これらを用いて豊かに生きるために、これに頼るのではなく、生かしていきたいものだなと思いました。

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