その感情を追慕と呼ぶ

しばらく会っていない人、もう会えない人、いつか見たきれいな景色、過ぎ去った何気ない日常。そんなものたちが登場する夢から覚めた暗い部屋で、とても切なく温かな気持ちになることがある。つい先日もこのような気持ちになった。

この複雑な感情はなんと呼ぶのだろうかと考えていた時、ふと「追慕(ついぼ)」という言葉が浮かんだ。

暗い部屋でスマホの辞書を引く。

「過去の出来事を思い出して、したうこと。死者や長い間会っていない人などを思い出して、したわしく思うこと」

あぁ、これだと思った。
今まさにこの胸を締め付ける、温かく切ない気持ちが「追慕」だったんだと。

この言葉を知ったのは、私が好きな「Sky 星を紡ぐ子どもたち」だった。
このソーシャルアドベンチャーゲームは、文明が滅びた美しい雲の王国を冒険しながら、かつてその世界に暮らしていた「精霊」たちを彼らの故郷である星に還してゆく1
定期的に特別なストーリーの「季節のイベント」が配信されるが、2023年1月のイベント名が「追慕の季節」だった。
最初はそもそも漢字すら読めなかった。それくらい馴染みのない言葉だった。

この「追慕の季節」は、Skyにしては結構重い内容だったと思う。
ところどころに現れるその季節の「精霊」は、愛する一人息子を戦争で亡くした老人、病気の家族を助けようと奔走したが間に合わず亡くしてしまった女性、母親を兵士に連行されて取り残された少年、戦争で隣人を亡くし自身も身体が不自由になった兵士などだった2

イベントの序盤では、彼らはそれぞれ、大切な人の喪失を受け入れられず、痛みや悲しみに苦しむ。しかしイベントの終盤で、それが慕わしい思い出となったことを受け入れ、心の中に「追慕」の思いを抱くに至る3

あの季節でSkyが描きたかったものは、きっとこんな気持ちだったのかもしれないとふと実感したのだった。

私が思うに、Skyは一見、若年者層向けのゲームのように見えるが、おそらく、人生経験をある程度積んだ方が、その世界の深みを楽しめると思う。
若いころだったら、あの追慕の季節の精霊たちの思いを理屈ではわかったとしても、実感できなかっただろう。
この年齢で、このゲームを楽しめることは、本当に幸運だったと思う。

当たり前の日常の中の、なんでもない事柄が、実はとても尊く愛おしいものだと、時を経て気づく。
だから、当たり前の日常の今を、とても大切に思うようになったのだ。

喪失の純然たる鋭く冷たい悲しみも、やがて温かで切ない追慕に変わることは、救いではなかろうか。

Skyについては、他にもいろいろな思いがあるが、また今度。

  1. もう少し詳しく書くと……この精霊たちの祖先は、かつては星に住んでいた(あるいは星、または星の光そのものだったのかもしれない)。でも何かがあり、空から地上(または雲の中)に落ちてしまった。いつかまた星に還ることを夢見つつ、やがてその歴史の中で「雲の中の王国」を築いた。精霊は「大精霊」によって星に還されていた。しかし、やがて空に闇が忍び寄り、王国は砕け散ってしまった。滅びた王国には、大精霊に還してもらえないまま、闇に取り憑かれて動けなくなってしまった精霊たちが取り残された。プレイヤーである星の子は、そのような精霊たちに取り憑いた闇をキャンドルの光で焼き払って開放し、神殿にいる大精霊の元に連れてゆき、大精霊に星に還してもらう(大精霊自体も星の子が灯す光で力を取り戻す)……という感じでゲームは進められる(と、私は解釈しています……) ↩︎
  2. これは私の個人的な解釈です。Skyは、ゲーム内では公式の物語が言葉で語られることはほとんどなく、キャラクターたちの振る舞いなどをみてプレイヤーが物語を解釈するためです。 ↩︎
  3. これも、私の解釈です。 ↩︎


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